鎌倉時代弘安元年(1278)元寇に際し後宇多天皇の勅願(ちょくがん)によって、 西大寺の唯円上人(ゆいえんしょうにん)が創建したと伝えられています。 南北朝時代には懐良親王(かねながしんのう)が本陣としました。
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●木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)(国重文)
桧の一木造りの立像。膝下(しっか)には翻波式(ほんばしき)の衣紋(いもん)がみられ、 平安時代前期の貞観様式(じょうがんようしき)の手法をとどめた県内でも 最古の仏像。もとは妙法寺の本尊でした。 |
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●木造釈迦如来坐像(もくぞうしゃかにょらいざぞう)(国重文)
桧の寄木造りの漆箔像で内刳が施され、目には水晶がはめ込まれて玉眼となっています。彫像様式から見て鎌倉時代の作と推定されます。 |
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●紙本墨書梵網経(しほんぼくしょぼんもんきょう)(国重文)
南北朝時代、懐良親王は征西将軍として派遣されました。親王は筑後矢部山中に退隠したと伝えられていますが、その時母親の菩提を弔うために納められたものです。 |
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●東妙寺并妙法寺境内絵図(とうみょうじならびみょうほうじけいだいえず)(国重文)
田手川をはさんで東岸に東妙寺、西岸に妙法寺の伽藍(がらん)が描かれています。鎌倉時代末期の製作になると考えられています。 |
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●東妙寺の昔話「泣きべそをかいたお釈迦様」
明治時代 世に排仏論が出されると、東妙寺は寺の収入がなくなり、とうとう本尊のお釈迦様を質屋に取られてしまいました。ところが、夜になるとこのお釈迦様が、質屋の倉の中で「東妙寺に帰りたい」とシクシク泣いてばかり。これを見た質屋の主人はすぐにお釈迦様を東妙寺にお返ししたそうです。お陰で今、お釈迦様はニコニコ顔でいらっしゃいます。 |
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